2011年12月27日
日進の雪景色
26日、クリスマス翌日の日進の雪景色です。
春になると満開の桜の木にも雪が
美しい~
うちのワンコは、初めての雪に大興奮でした。
我が家のワンコ君のブログです→インコと犬とおばあちゃん
是非、こちらのブログにもお越し下さい
春になると満開の桜の木にも雪が
美しい~
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2011年12月24日
メリークリスマス
こんにちは。
さっき、雪が降りました。
夜降るかな・・・
積もるかなっ
今日はクリスマスイブ。
メリークリスマス♪
ケーキ、作りました~
先日、豊田に行ったら、
クリスマスツリーがキレイでした
クリスマスパーティーが終わると、
後は年越しに向けて一直線ですね。
残っている仕事を、早く片付けてしまわなくては~~~~
さっき、雪が降りました。
夜降るかな・・・
積もるかなっ
今日はクリスマスイブ。
メリークリスマス♪
ケーキ、作りました~
先日、豊田に行ったら、
クリスマスツリーがキレイでした
クリスマスパーティーが終わると、
後は年越しに向けて一直線ですね。
残っている仕事を、早く片付けてしまわなくては~~~~
2011年12月24日
天皇陛下のお言葉
天皇陛下のお言葉。
今の日本では、テレビで放送されることも無い・・・・
私は国旗を掲げたり天皇陛下のお誕生日に
特別な思いを抱く訳ではないけれど、
日本人として、天皇陛下に対する思いがこれで良いのかと
時々思うのだけれど、
昨日のこのお言葉には、じ~んと温かいものを感じました。
辛いこと、悲しいこと、災難だったことが多い一年だったけれど、
天皇陛下の温かさに触れることが出来るお言葉だと思います。
お時間がある方は、是非、読んでみてください。
「先月マイコプラズマによる感染症を患い、
入院を余儀なくされたことから、
多くの人々に心配を掛けました。
私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、
謝意を表します。
退院から日もたち、
皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、
体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。
今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。
3月11日に起こった東日本大震災は、
今から88年前の大正12(1923)年、
10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、
死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。
更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、
犠牲者が出たところもありました。
家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。
また住まいや生活の場を失った人々、
原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。
震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、
被災者を見舞ってきましたが、
これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、
決して取り乱すことなく、
強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、
そのことを非常に心強く思いました。
また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、
何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。
厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、
専心救援活動に当たった自衛隊、
警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、
また原発事故の対応に当たった、
東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。
諸外国からも救援の人々が来日し、
日本の救援活動を助けてくれました。
また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、
災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、
被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。
震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、
自分たちは被災者と共にある、
という言葉が添えられていたことが思い起こされます。
歴史を振り返ると、我が国は、
今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の
「三陸地震」を始めとし、
これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。
しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。
私が津波の恐ろしさに接したのは、
平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。
島は地震と津波で大きな被害を受けており、
200人以上の死者、
行方不明者が生じていました。
少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、
自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、
歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。
記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、
もしこの度の被災地域の人が、
奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、
一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、
より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。
この度の津波災害においても、
避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、
施設面の充実と共に、
今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、
災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。
私どもの住む日本は、
四方に海を持ち、山や川も多く、
風光に恵まれた島国です。
一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、
地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、
日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、
時に荒れ、多大な被害をもたらします。こ
の厳しい現実を認識し、
災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、
常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。
今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。
住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。
寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。
今年は豪雨による災害も、
7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。
9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、
森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。
こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。
ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、
7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、
前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。
これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、
様々な対策が講じられた成果であり、
防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。
水害はタイ王国でも起こりました。
国王陛下は長らく御入院中で、
この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。
タイの水害は日本の産業にも影響を与え、
タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、
生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、
生産を再開することになりました。
言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。
この度の日本における災害及びタイの水害は、
改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。
今年は先の戦争が始まって70年になります。
この戦争における死者はおびただしい数に上り、
戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、
日本の人々は、真摯に過去を学びつつ、
戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、
今日の日本を築き上げました。
戦争の記憶が薄れようとしている今日、
皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、
平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。
振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。
しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、
我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。
日本人全体がこの震災に向き合い、
被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。
本年もあと僅かになりました。
新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。
来る年が少しでも良い年となるよう願っています。
今の日本では、テレビで放送されることも無い・・・・
私は国旗を掲げたり天皇陛下のお誕生日に
特別な思いを抱く訳ではないけれど、
日本人として、天皇陛下に対する思いがこれで良いのかと
時々思うのだけれど、
昨日のこのお言葉には、じ~んと温かいものを感じました。
辛いこと、悲しいこと、災難だったことが多い一年だったけれど、
天皇陛下の温かさに触れることが出来るお言葉だと思います。
お時間がある方は、是非、読んでみてください。
「先月マイコプラズマによる感染症を患い、
入院を余儀なくされたことから、
多くの人々に心配を掛けました。
私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、
謝意を表します。
退院から日もたち、
皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、
体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。
今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。
3月11日に起こった東日本大震災は、
今から88年前の大正12(1923)年、
10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、
死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。
更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、
犠牲者が出たところもありました。
家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。
また住まいや生活の場を失った人々、
原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。
震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、
被災者を見舞ってきましたが、
これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、
決して取り乱すことなく、
強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、
そのことを非常に心強く思いました。
また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、
何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。
厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、
専心救援活動に当たった自衛隊、
警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、
また原発事故の対応に当たった、
東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。
諸外国からも救援の人々が来日し、
日本の救援活動を助けてくれました。
また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、
災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、
被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。
震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、
自分たちは被災者と共にある、
という言葉が添えられていたことが思い起こされます。
歴史を振り返ると、我が国は、
今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の
「三陸地震」を始めとし、
これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。
しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。
私が津波の恐ろしさに接したのは、
平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。
島は地震と津波で大きな被害を受けており、
200人以上の死者、
行方不明者が生じていました。
少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、
自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、
歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。
記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、
もしこの度の被災地域の人が、
奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、
一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、
より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。
この度の津波災害においても、
避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、
施設面の充実と共に、
今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、
災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。
私どもの住む日本は、
四方に海を持ち、山や川も多く、
風光に恵まれた島国です。
一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、
地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、
日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、
時に荒れ、多大な被害をもたらします。こ
の厳しい現実を認識し、
災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、
常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。
今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。
住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。
寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。
今年は豪雨による災害も、
7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。
9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、
森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。
こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。
ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、
7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、
前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。
これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、
様々な対策が講じられた成果であり、
防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。
水害はタイ王国でも起こりました。
国王陛下は長らく御入院中で、
この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。
タイの水害は日本の産業にも影響を与え、
タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、
生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、
生産を再開することになりました。
言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。
この度の日本における災害及びタイの水害は、
改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。
今年は先の戦争が始まって70年になります。
この戦争における死者はおびただしい数に上り、
戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、
日本の人々は、真摯に過去を学びつつ、
戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、
今日の日本を築き上げました。
戦争の記憶が薄れようとしている今日、
皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、
平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。
振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。
しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、
我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。
日本人全体がこの震災に向き合い、
被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。
本年もあと僅かになりました。
新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。
来る年が少しでも良い年となるよう願っています。
2011年12月20日
北朝鮮
北朝鮮の金正日が亡くなりました。
電車の中で・・・
どれほど偉大な将軍様であっても、
(なぜ偉大だと・・?国民を飢えさせた・・指導者として失格では?)
どれほどの権力を持っていても、
死ぬときは、あっさり死んでしまったのだなぁ~と思ったのと、
あの北朝鮮のテレビのキャスターが、
久しぶりの登場でびっくりした(←最近、10月から姿を見せていないと騒がれていた人)、
泣きながら、金正日の死を伝える様子に、
なんだか違和感を感じた。
ワイドショー、ニュースのほとんどが、
金正日の話題となり、
今年の三大ニュースに飛び入りしてきたという感じ。
北朝鮮が、普通の国の仲間入りをすることは、
とても勇気が必要なのかもしれない・・・
けれど、若いリーダーならそれが可能かも。
とにかく、日本の拉致被害者を、一日でも早く返してくれることを願うばかり。
安倍元首相が、昨日テレビに出ていて、
私は北朝鮮を知っています!みたいに得意気に話していたけれど、
そんなところでしゃべっていないで、
さっさと行動しろよー!!
なんて怒りがわいたりもした。
日本人って、そういう部分があるのだけれど、
でも、どこかの国のように、
それ賠償しろだの、それ補償しろなど、
ゴタゴタ言わないので、
とにかく、一日でも早く、拉致被害者を返すべし!
電車の中で・・・
どれほど偉大な将軍様であっても、
(なぜ偉大だと・・?国民を飢えさせた・・指導者として失格では?)
どれほどの権力を持っていても、
死ぬときは、あっさり死んでしまったのだなぁ~と思ったのと、
あの北朝鮮のテレビのキャスターが、
久しぶりの登場でびっくりした(←最近、10月から姿を見せていないと騒がれていた人)、
泣きながら、金正日の死を伝える様子に、
なんだか違和感を感じた。
ワイドショー、ニュースのほとんどが、
金正日の話題となり、
今年の三大ニュースに飛び入りしてきたという感じ。
北朝鮮が、普通の国の仲間入りをすることは、
とても勇気が必要なのかもしれない・・・
けれど、若いリーダーならそれが可能かも。
とにかく、日本の拉致被害者を、一日でも早く返してくれることを願うばかり。
安倍元首相が、昨日テレビに出ていて、
私は北朝鮮を知っています!みたいに得意気に話していたけれど、
そんなところでしゃべっていないで、
さっさと行動しろよー!!
なんて怒りがわいたりもした。
日本人って、そういう部分があるのだけれど、
でも、どこかの国のように、
それ賠償しろだの、それ補償しろなど、
ゴタゴタ言わないので、
とにかく、一日でも早く、拉致被害者を返すべし!
2011年12月10日
里山作り
今日は、子供たちの学校の学習林のお手入れに行ってきました
山に入るとすぐ、キノコ
キノコ狩りの楽しみは後にして・・・
階段のお掃除などをしながら、山の散策
お天気もよく、とっても気持ちが良かったです。
定例活動は、月1回なのですが、
来年からは月2回の活動になります。
もっともっと素敵な里山になるように、
楽しく活動したいと思います
里山の頂上から、こ~んな景色が見られます
いつも、ゴソゴソ引きこもって仕事をしているので、
このような場所に立つと気持ちが良い
山に入るとすぐ、キノコ
キノコ狩りの楽しみは後にして・・・
階段のお掃除などをしながら、山の散策
お天気もよく、とっても気持ちが良かったです。
定例活動は、月1回なのですが、
来年からは月2回の活動になります。
もっともっと素敵な里山になるように、
楽しく活動したいと思います
里山の頂上から、こ~んな景色が見られます
いつも、ゴソゴソ引きこもって仕事をしているので、
このような場所に立つと気持ちが良い
2011年12月08日
音楽集会
こんにちは。
今日は、日進市梨の木小学校の音楽集会を観せてもらいました。
ハンドベルの演奏、5年生の合唱、楽器演奏・・・
とっても素敵でした。
演奏している子、歌っている子はもちろん真剣で、
聴いている子達も1年生から、み~んな静かにウットリなお顔をしていて、
とっても素敵な時間でした。
最後は、クリスマスソングで盛り上がって、
歌えバンバン♪を歌いながら体育館から教室へ・・・。
みんなとっても可愛くて、すばらしい
初めて観せてもらったのですが、
また次回、観にいきたいと思います
今日は、日進市梨の木小学校の音楽集会を観せてもらいました。
ハンドベルの演奏、5年生の合唱、楽器演奏・・・
とっても素敵でした。
演奏している子、歌っている子はもちろん真剣で、
聴いている子達も1年生から、み~んな静かにウットリなお顔をしていて、
とっても素敵な時間でした。
最後は、クリスマスソングで盛り上がって、
歌えバンバン♪を歌いながら体育館から教室へ・・・。
みんなとっても可愛くて、すばらしい
初めて観せてもらったのですが、
また次回、観にいきたいと思います
2011年12月02日
2011年の流行語大賞
2011年の流行語大賞は「なでしこジャパン」でした。
何となく、個人的に「ポポポポ~ン」かな?と思っていたのですが、
去年は「ゲゲゲ」とかだったような・・・
意味があるようなないような、
そんな言葉が毎年流行語大賞になっているような気がするので、
今年は、なんだか、「なでしこジャパン」になって良かったと思いました。
流行語大賞などでノミネートされている言葉を見ると、
サササッと一年を振り返ることが出来るのだけれど、
今年は、重い、辛い、苦しい・・・一年だったのだなと、
改めておもったりもします。
風評被害、3.11、帰宅難民・・・
「絆」と言う言葉もノミネートされていたけれど、
なんだか、ウワベだけの飾った言葉のように思える。
「頑張ろう日本」ってノミネートされてました?
「絆」とか「頑張ろう日本」とかって、
良い言葉だとは思うのだけれど、
なんだかイマイチ、気持ちが乗っていないというか、
社会が乗っていない・・・
そんな感じが、個人的にします。
さて、今年もあと一ヶ月。
わたしも、個人的に超忙しい・・・
良い年が迎えられるように、ファイト!です。
顔晴りましょう!